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三国志・ディープな武将紹介【魏編】②『朱霊』

はい、更新再開します。

朱霊さんです。
なぜか曹操に嫌われていた朱霊さんです。
『太祖はいつも朱霊を憎んでいた』とあるからよっぽど何か怨恨があったのでしょうね。
でもこの記述だけじゃ曖昧だし、本当のところはよく分かりませんね。

そもそも、朱霊は元々袁紹に仕えていた部将ながら、援軍として曹操の元へ派遣された際に曹操の人柄に一目惚れし、
「曹公こそ真の君だ」として、そのまま曹操に仕えることになったという過去があります。

その上、名声も功績も徐晃に次ぐと言われた程の人物です。
普通に考えれば、嫌ってあえて遠ざける必要性なんて微塵も無いですからね。
曹操の死後、文帝・曹丕は逆に朱霊さんをベタ褒めして加増どころか
「欲しい物があったら何でも言ってね?」ってデレちゃうくらい評価してたり。

朱霊さん、能力はあるのに曹操の麾下ではけっこう不遇な目にあっていたのでは?
袁紹を見限ったまでは良かったけど、どこで歯車が狂ってしまったんでしょうかねえ。
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三国志・ディープな武将紹介【魏編】①『于禁』

魏編トップバッターは于禁です。

一発目を飾るにはちょっと地味すぎないか?
そう思われる方が大多数だと思われますが、このコーナーの方向性をはっきりとさせておきたかったため、あえての選択でした。

そうです。
このコーナではマニアックな人物しか取り上げないつもりです。
かなりディープなところまで行っちゃいたいと思ってます。
于禁も十分有名だろって言われるかもしれませんが、初っ端から深すぎるとアレな気もするのでこの辺で許してください。



184年、黄巾の乱が勃発すると于禁は兵士を募集していた鮑信のもとへ赴く。
これより于禁の武将としての人生が始まります。
鮑信が戦死してしまうと、今度は兗州を支配したばかりの曹操のもとへ。

御存知の通り、曹操に仕えてから于禁は目まぐるしい戦果を上げ、ついには魏の五将軍にまで数えられるようになったのです。
特に仕事に対しては私情を挟まずストイックなまでに厳しい態度で接したようです。
叛乱を起こしたかつての旧友を、有無を言わさずぶった斬ったのには思わず裴松之も苦笑い。
上記の理由により、部下や市民からはあまり慕われてはいなかったようです。(『三国志演義』では降伏した劉母子を闇討ちする汚れ役も負わされている。)
しかし、曹操の信任は特に厚かったようです。

そう、あの日が来るまでは。

219年、樊城の曹仁を救援するため于禁は派遣されたわけですが、折しも長雨を利用した関羽の水攻めに合い、あっさり捕まって降伏してしまったのです

まあ、これだけなら左程とやかく言われる程ではなかったのですが、バツの悪いことに新参の龐徳の方は最後まで関羽に抗い清く死を選んだ事と比較されてしまい、古参の于禁がまさかな…と曹操含む多くの人に失望されてしまったのです。

しばらく後、関羽を打ち倒した孫権の計らいで于禁は数年ぶりに魏に帰国出来ることになりました。
「大好きな曹操はもういない…」
既に曹操は死去しており、息子の曹丕が後漢の献帝を廃し自ら魏の皇帝となっていました。
于禁自身も既にかなりの高齢だったことでしょう。
しかし、于禁はそこで曹丕に陰湿な仕打ちを受けます。
とりあえず曹丕は久々に帰ってきた于禁に、父・曹操の墓参りに行くことを命じます。
曹操の御陵にはなんと戦いに勝利する関羽に対し、激怒する龐徳と降伏する于禁の絵が描かれていました。
もちろん曹丕が描かせたものです。于禁はあまりの面目なさやら怒りやらで、病気にかかりその後波乱の人生を閉じました。

数々の功績を残しながらも、晩節を汚してしまったため不名誉なまま最後を迎えた于禁。
さぞ無念だったでしょうね。
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